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すりりんごと涙と策略
 それから間をおかず、額に置かれた冷たいタオルの感触でキルシェは目を覚ました。静かに前髪を払われる感触が、なんだか心地いい。
 のろのろと手が伸びてきているほうへ顔を倒すと、優しげな風貌のパキケの少女が自分を見下ろしていた。その表情が、ほっとしたように綻ぶ。
「あ、起きた。おはようキルシェさん」
「……ロウちゃん?」
 自分のかすれた声に驚いて、そのまま咳き込む。ロウオーレは慣れた手つきでキルシェの上体を抱き起こし、堰が止まるまでゆっくりと背中をなで続けたあとに一杯のカップを手渡した。ほんのり甘い不思議な飲み物に、冷え切っていた体が温まっていく。
「……どうして、ロウちゃんがここにいるの?」
 弱々しく訊ねるキルシェに笑って、ロウは彼女を横たえてまずは頭を下げた。
「勝手に上がっちゃってごめんなさい。私は兄さんに、ご近所に一人暮らしの病気の女性がいるから手助けにいってあげなさい。って言われて来たの。覚えてる? 背の高い、スーツを着た、青緑の目と髪をしたムシチョウが兄なんだけど」
「…………。ロウちゃんのお兄さん? そうなんだ……あれっ?
 でも、彼ってタリタちゃんとスピカくんのお兄ちゃんなんじゃー」
 なかったっけ、と続けようとしたところで、ロウオーレがもともと大きな目をさらにきょとんと丸くした。
「キルシェさん、タリタとスピカを知ってるの?……ひょっとして、あの子たちが言ってた『桜のムシチョウのお姉さん』って」
「あ、それ私だ」
「あはは、なんだかおかしいね。タリタとスピカは私の兄弟よ、それに、キルシェさんが兄さんとも知り合いだったなんて……」
 そう言いながら、ロウオーレの手元では手土産らしい林檎がすばらしい手際でくるくると皮を脱いでいく。お兄さんとはさっき知り合ったんだけどね、と付け加えようかと思ったけれど、それにしたってさしたる違いはない気がしてキルシェはそのまま口を閉ざした。
 綺麗に皮を剥かれた林檎はそのまま氷と一緒におろしがねにかけられ、ひんやりと冷たいすりりんごになってキルシェの手元へと運ばれた。
「……ん、おいしい。ありがとー、ロウちゃん。すごく助かった」
「ううん、いいの。気にしないで。……あ、ちゃんとお薬飲んでね?」
 はい、これ。差し出された薬の袋を受け取りながら、キルシェがどこか楽しそうに微笑む。それに気付いて、どうしたの? とロウオーレもまた笑いながら問いを投げた。
「ロウちゃんとお兄さんってよく似てるね。その言い方なんかそっくり……っあー!!」
 叫んで勢い良く飛び起きたキルシェに目を丸くし、立ち上がって帰りかけていたロウオーレは慌てて彼女の傍らに膝をついた。高い熱のためになにか幻覚でも見てしまったのかと思いきや、彼女の目はいたって正気だ。
「ど、どうしたの?」
「お兄さん! しまったぁー私メガネ……ごめんロウちゃん、私、ちょっと出かけてくるね」
 ふらふらと立ち上がりかけたキルシェに、仰天したのはロウオーレのほうだ。うろたえながらもがっしりと彼女の肩を押さえつけ、必死でベッドの上に押さえつける。
「なに言ってるの!? ダメです! 今は外なんて絶対ダメ! 熱だって下がってきたにしてもまだ8度近いのよ!?」
「でも行かなきゃ~……眼鏡、きっとあのままだよ。大事なものだろうに私……。やっぱり行かないと……」
 うわごとのように眼鏡と口にする彼女に困惑を隠せないまま、ロウオーレにもひとつ引っかかることがあった。スピカと夕方の散歩に出かけたはずのジルコンが帰ってくるやロウオーレに用事をいいつけたことにも驚いたが、それ以上に驚いたのが兄の顔にいつも掛かっている銀縁の眼鏡がなくなっていたことだった。
「兄さんの眼鏡、どうかしたの?」
 訊ねれば、そこでぴたりとキルシェの抵抗が止む。体調の悪いところで無理に動こうとしたためか、息は荒くなり瞳は潤んでしまっていた。
 言おうとしては息を整え。と二度ほど繰り返して、顔を上げたキルシェの目からぽろりと一粒涙がこぼれた。
「眼鏡、割っちゃったの」
 心底悪いことをしてしまったと思っているのだろう。一度こぼれてしまった涙はぽろぽろ、ぽろぽろと彼女の頬を流れ続け、そのうち堪えきれずにしゃくりあげはじめる。彼に呼ばれてきたというロウオーレが手厚く彼女の看病をしている事実もまた、その涙を誘う要因に違いなかったらしい。
「キルシェさん……。大丈夫、場所を教えてくれたらあたしがちゃんと拾いにいきます。それに、兄さんは本当に気にしてないと思うの」
 キルシェの頭を優しく肩に抱き寄せて、なだめるようにその背中を撫でる。
「そういう人なの。大丈夫よ、お節介が生きがいみたいなものなんだから。それにほら、あの眼鏡も大分使い古してたし、そのうちつるが折れてしまってたかもしれないわ。だから、ね。もう泣かないで?」
 ぐすぐすとしゃくりあげるキルシェの頬をタオルで拭って、ロウオーレはもう一度立ち上がった。
「どこ? 私、見てくるね。キルシェさんはちゃんと寝てて」
 そう言いながらキルシェを寝かしつけ、冷やしなおしたタオルをその額に乗せる。
「……薬屋さんから、大通りに出たあたり。……ロウちゃん、ごめんね」
 いいのよ、ともう一度笑って、ロウオーレは家を出て行った。慣れきったしんと冷たい静寂が、部屋の中に帰ってくる。その空気は今までの暖かさにくらべて心細さを煽ったけれど、同時に少しほっとしたのもまた事実だ。
 もう日も暮れてしまったらしい。キルシェは紺色の空を見上げて、ロウオーレに任せて大丈夫だっただろうかとまた少し不安になった。彼女はパキケだ。別段身体能力に長けている種でもなく、加えて言えばか弱い娘さんでもある。
 完全に自分の弱った体を棚に上げていることになるが、彼女自身はどこまでも本気だ。動かない体にやきもきしながら、ロウオーレの帰りを待つしかなかった。
 いくらきつい状態といえ、どうして泣いたりしてしまったんだろう。まだ熱い頬をタオルで拭って、申し訳ないやら恥ずかしいやらで頭の中はもうわけがわからなくなってきている。仕方がないので考えるのを一旦やめて、彼女はあたりの音に耳を澄ませた。
 桜の木が風にそよぐ音が聞こえる。またあの、薄く色づいたはなびらを散らしているのだろうか。ああ、ちびちゃんたちがいたら喜んだろうなあ。家のなかで落ち着くと、そういった聴覚や嗅覚だとかいう五感を含めて外の様子を見ることができた。つらつらと一つずつ、状況を把握していくうちに、頭の中が澄んでいく。
 そうだ、思いついた。あのあとの彼らの行動はこうしよう。そっちの方がその後の展開に沿っているし、なにより彼ららしい。頭の中で構成を組み立てているところに、ガラリと玄関の開く音がした。
「ただいまー。キルシェさん、ちゃんとあったよ! はい。フレームがあればレンズは替えが効くし、こっちにはあんまり影響ないみたい」
 そう言って嬉しそうに差し出されたロウオーレの手のひらに載っていたのは、間違いなく彼の銀縁の眼鏡だった。片側のレンズがきれいに抜け落ち、残ったほうのレンズも石に擦れて薄らと線が入ってしまっているが、ロウオーレの言うとおりフレームは綺麗なままだった。それにしても、本当にそのまま打ち捨てられていたとは。半ば驚き、半ば呆れながらロウオーレに対して微笑みかける。
「本当? よかったぁ……。お兄さんに渡しておいてくれる? 修理代、私がきちんと持ちますから。って」
「うーん、でもキルシェさん。それだと兄さんね、受け取らないと思うの」
 眼鏡を踏み割ってしまったときの彼の態度を思えば、確かにそんな気はする。しかし、それではキルシェの気がすまないのだ。借りっぱなしは性に合わない、どうにかして返してしまわないと。いっそ使命感すら抱きながら、キルシェはうーん、と拳を握ったり開いたりする。
「……でも、兄さん女性の押しには弱いから。一緒に行って、って言い方したら大丈夫だと思う」
 いたずらっぽく笑った女二人の策謀を知る由もなく、ジルコンは一人自宅の屋根の下で一度だけ大きくくしゃみをした。
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【2006/03/05 14:32】 | 花の眠る庭 | トラックバック(0) | コメント(0)
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  • Author:狩野宿
  • 虚言・妄想・戯言・被害妄想が並じゃなく多いです。
    焦ったり面倒がったりまったりしたりしながら語彙と表現力の無さを嘆いています。
    そんな感じの修行中字書きです。

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