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愛してくれるだろうか
 足元をすすぐようにざわめく草が、ばたばたと音を立てて吹く風の強さを伝えていた。
「だからよぉ」
 目の前で、小麦色の肌をした旧友が呟く。
「覚えとけ、それだけ」
 零した言葉はすぐに風に攫われて、何事もなかったかのように流れてゆく。
 ただ目の前の男が発した音は否応にも言葉として脳内に認識されて、瞬時そこへ焼きついた。

 そんなことは、言われなくたってわかっていた。

 ふと甘い香りが鼻腔をくすぐり、眼を開けると灰色の旋毛が渦を巻いてうなじまで流れ落ちているのが見えた。
 ぼんやりとまばたきを繰り返しながら、脳は常通り回転をはじめ現在の状況を認識する。
 ここは私室のベッドの上だ。帰ってからシャワーを浴びて、着替えるなり横になったのは覚えているんだが、はたして彼女はいつの間にやって来たのだろうか。
 最近、彼女の気配に慣れきっている自分に思わず苦笑が漏れた。
 鈍くなったものだ。いや、彼女だからというのは勿論あるのだろうが。
 また影洛の発した言葉が脳内を滑って、それを振り切るように頭を打ち振る。
 穏やかな寝息を立てる仁希を起こさないよう、静かに身を起こして乱れた髪を直すように指を差し込んで掻き回す。乾かしもせずに眠ったせいだろう、妙な癖がついたそれをある程度梳いてのびを一つすると、目の前に水の入ったガラスのコップが差し出された。
 視線を下ろせばパンダのぬいぐるみが黙ってそれを突き上げてきていて、思わず吹きだしそうになりながら受けとった水を一息に飲み干す。
 柔らかい頭をうりうりと撫でれば満足げに小さく笑い声を零して、眠る仁希の胸元へと背を預けた。
 ちゃむ。こいつも大分知能をつけた。はじめはたどたどしかった喋り口も、今は滑らかに幼い声を操っている。
 こいつを贈ったのも、骨組みと考える頭を組んだのも、ひとえに仁希がもしこれで喜ぶならと、その一心だった気がする。
 よく笑うようになった。それを思うと、そうした行為も無駄ではなかったように思えてくる。
 薬指に光る指輪を眺め、自分の首元へ同じように吊ったそれへ手を伸ばす。
 仁希に渡したそれには、もう知る者も少ない自分の生来の名が刻み込んである。
 自分のものには同じように彼女の名前が刻んであるのは、誰にも告げたことはない。我ながら幼稚な欲だと思う。あるいはそれを見透かされたのか。
 手元で玩んでいたそれを胸元へ戻して、着衣を正しながら立ち上がる。
 靴を履くのも面倒に感じてスリッパをつっかけたまま部屋を出ると、そこには散乱した書類の山が視界いっぱいに広がっていた。
「あ、ティム」
「……ブレイン。この惨状は……?」
 私室に篭もった時にはただ積み上げられた束がいくつもテーブルの上に収まっていただけのはずだ。
もともと褒められたものではなかった整理状況も、ここまでではない。
「仁希さんが来た時に引き倒してしまって……でも、直そうって頑張ったんですよ?」
 テーブルには幾束かに纏められた紙が積まれており、努力の跡をうかがわせた。額が少し赤い気がしたのは、どうやら気のせいではなかったらしい。
 コップをテーブルに置き、落ちていた書類束の中から一枚目を拾い上げて、魔法式を展開する。
 こういう符合を集めるものは一人でやるならば楽な作業だ。たちまち数百枚の紙が宙を舞い、正しい秩序と順序に則って列を整えた。一束ずつテーブルに追いやって、出来上がり。
「たまに憎らしくなりますね、私にも魔法が使えればいいんですけど」
「やめてくれ。あまり使い勝手が良くなると狙われる頻度も上がるんだ」
「ではせめて紙をより分けられる精度のアームを作って下さいな。人型の腕でなくて結構ですから」
 ブレインの腕は充分細かい作業に耐えうる構造をしたものが用途に合わせた数だけあるのだが、それは飽くまでも固定された場所の上での話だ。研究所の整理など随所の壁に設置してあるアームの精度はまだまだ低く、掌大の物の持ち運びがやっとできる程度だった。
「手が空いたらな」
「手が空いたら仁希さん構ってるのに良く言いますね」
「なんだ、嫉妬か?」
「いいえ、とんでもない。AIの嫉妬なんて聞いたこともありませんよ」
「お前ならやりかねん。いっそ仁希よりも……」
「ティム」
 苦笑含みに言いかけて、驚いたような声音のブレインに制されるまま口を噤む。
 俺は今何を言おうとした?
 ショックの大きさに頭の中が白くなる。
 いっそ仁希よりも? 一体何を。
「……ふざけてる。すまん、どうかしてた」
 人工知能に対して忘れろというのは無理な話だ。そう思って喉まで出かかった言葉を飲み込み、代わりに溜息を吐き出す。
 どうかしてる。動揺、しすぎだ。
「どうしたんですか?……変ですよ、帰ってから」
「おかしいか」
「ええ。溜息もぼうっとしている時間も増えました。ましてそんなことを零すなんて」
 考えられません。零す人工知能に言い訳を考える気にもなれず、軽く手を振って応じる。
 これ以上突き詰めて欲しくはなかった。それを感じてかは知らないが、ブレインはそれ以上に追及の手を伸ばしてくることはなかった。
「影はどうした。どうせ来てるんだろう?」
「温室にいらっしゃいます」
 言葉を受けてそのまま温室へと足を向ける。大方あの書類束も、あのバカがちょっかいをかけたんだろう。

 一枚足りない。どこのホラーだ。

 廊下に沿って進み、一見するとどこも同じに見えるあまり見る側に親切ではない作りのドアを潜る。
訪れる人が少ない研究室で、自分たちが見分けられれば良い。万一の時を考え、防犯の意味も含めて設立当初から案内板などの一切は廃されていた。
 おかげではじめのうちは仁希が迷うこともしばしばだったが、そこはブレインの誘導がある。
 ドアの内側に、もう一枚のドア。完全にはじめのドアが閉まりきってから、もう一枚が開いた。
 途端、鼻先に広がる湿気を含んだ空気。人工的に整えられた空調の中、カカカッ、と蟲の鳴き声がした。
 この温室の中には、一つの生形態ができあがっている。
 一般的に生活している品種のものと、珍しい品種のものがほぼ同率の割合で棲息し、共生する。
 そのバランスを調整し、実際の状況をどう変えるべきか。その分析をするのも、数多い学神の仕事の一つだ。
 外と同じ時間を映す人口の光源。ここでの太陽は今は成りを潜め、代わりにすっと細い三日月が空を照らしていた。
 奥まった場所へ進んでゆくにつれ、しんしんと身に染み入る空気の冷たさが増す。湖に近づいたためだろう。思ったところで、耳元でばたばたという羽音がした。
 そちらを覗けば円形の瞳と視線がかち合う。
「よう」
 そっとその翼を指の背で撫で付ける。艶のある羽は優良な健康状態を示していた。
 ホー。静かな響きを宿した声で応じた森の賢者は、俺の鼻先へ頭を擦りつけ、何かを訴えるようにばさばさと数度羽をゆする。
「影。ふざけるのは止せ、俺の管理下で住民の平穏を乱すんじゃない」
「いーいじゃねえかよぉ? このくらい」
 フクロウの翼から聴こえてきた声は、すぐに湖の側の上方から笑い声になりを変えて響き渡った。
 書き文字にするならヒャハハ、となるんだろう高い笑い声はやがて収まり。何もなかったはずの木陰からゆっくりと、揺らめくようにまずは腕が現れた。
「……で、」
 ぼんやりと滲み出るように全身の形を成した影の神は、どこか愉快そうな、人を皮肉るような笑みをその表情に貼り付けて、上空から俺を見下ろした。
「やぁーっぱりお前、動揺しちゃってるわけな」
「返せ。142枚目」
 不機嫌も露に上方へ向けて手を差し出せば、なんのことだとでも言わんばかりのすっとぼけた表情で首を傾げる。
「なぁんのだよー?」
「そらとぼけるな。書類だ」
「仕事シゴトって、お前さぁ。どっちかにしろよ」
 一気に不快を示した表情は、解り易い位に気分屋の内面を映すかと思えば、この男は自分の内面を人に隠すのも大の得意というありがたくない性質を持っていた。
 今の奴の真意も、俺にはわからない。何を啓発しようとしているのかはわかるが、それに対して自分がどう動くことを求められているのか、が。
「何がだ」
 解っていて、敢えて問い掛ける。議題の明確化。奴はまじめな顔で。
「仁希だよ」
 こういう時に限ってまじめな顔で、返す。
「ひっかかってんだろ、俺が言ったこと。こちとらそれがわかんねぇ付き合いの浅さじゃねぇんだよ」
「だったらわざわざ尋ねることもないだろうに」
「とぼけてんのはお前の方だろが!」
 叩きつけるように忌々しげに吐き付け、同じ目線まで降下してきた影がここに至ってようやく地に脚をつけた。
 程よい湿気を受けて湿った土は人一人を受け止めても小さな音すら漏らさず、肩の上で影洛を見据えるフクロウが、僅か口を開き威嚇を示した。
 それを、上げた掌で制しながら。視線を真っ直ぐに目の前の旧友に中てた。
 どうやら、今日はわりあい本気の話らしい。
「誤魔化すつもりならもう一度言ってやらあ。お前さァ、わかってんのか?」
 次になんと続くのかはわかっている。目線を逸らすことはできずに、しかし間違ったことではないために言い逃れもできず。俺はただまっすぐその言葉が我が身に突き立つのを甘受するしかない。
「仁希にとっちゃ、お前は保護者に過ぎねぇんだよ。『あれ』は可愛いナリしちゃいるが、できかけの子どもだ」
「声が高い」
 暗に、仁希に聞かれることを示唆した。影洛はその言葉に逆らうことはせず、ワン・トーン落とした声で続ける。
「誰でもよかったんだ、ティム。現実を見ろ。単にお前が居合わせて、単にあいつを庇護した。
 その代償にお前は仁希との結びつきを要求して、それを得ただけだ。そんだけだ」
 現実を見ろ。この男に言われるには、あまりに不似合いな言葉だ。
「アレに必要なのはよ、いっそ利己的に割り切った教育係なんだよ。認識しろ。テメェが何を代償に仁希を匿ってんのか。お前は無償主義なんかじゃない。善人なんかじゃねーんだ。独善者だ」
「言われたもんだな」
「違うかよ?」
「いいや」
 違わない。低く空気を震わせたのは、間違いなく己の口から漏れた肯定だ。
「それだけに固執すんならオレぁ何も言わねーけどよ。お前もわかってやってんだ、なんも言うこたねーよ。ただなぁ」
 一際険のある目線で、清々しくまっすぐに俺を見下しながら、影洛は躊躇い無く言葉を吐きつける。
「だったら逃げんじゃねーよ。ベタベタな聞き方してやっからよーく聞け。
 シゴトと仁希と、どっちを取る?」
「間違っても第三者に言われる台詞じゃないな」
 揶揄を込めてそう言えば、影洛は盛大に鼻を鳴らした。
「言ってやってんだ、感謝しろよ。……お前さァ、今の神籍、永劫一人で続けるつもりなんだろ?」
「ああ。そのつもりだ」
 親から貰い受けた名も、体も、とうに朽ちた。『これ』は細胞だけが同じつくりをした、全くの別物だ。
 ただ魂だけが歳を重ね、知識や記憶はエーテルに焼き付けられ、これからも続いていく。
 そう決めたことだった。
 この仕事は、辛い。負荷も大きければ責任も大きい。自惚れているわけでなく、自分より着実にこの任に就けるものはそうそういないと思っている。それだけの覚悟も、積み重ねてきた努力も、ある。
 そしてまた誰かがこの苦悩と負荷を負うぐらいならば、自分が続ければという想いも大きかった。
 魂の消滅さえなければ、セレンの恣意の下何度でも体は組み替えられる。彼は絶対神だ。この世のありとあらゆるものは彼の掌の上で行われ、彼の思う通りに塗り替えられる。
 神一人構成しなおすぐらい、何ら難しいことではない。
「だったら、控えろ。依存すんじゃねぇ、寄りかかるんじゃねぇ、全部預けちまうのは止せ。
 じゃねぇと、揺らいでくる」
 一旦言葉を切った影洛が、息を吸って、決定的な事象を声につむいだ。
「あいつは、いつか、消えるんだ」
 一言一言、たったの三文節だけで身を裂かれるような痛みが走る。そんな。どれだけ心が叫んでも、その通りだ。奴は正しい。
 まるで消失を体現するかのように、俺の肩から静かに夜の獣が飛び立った。
 羽音ひとつ立てない。優美な後姿を残し、目の前に一本だけ、飛び立つモーションで抜け落ちた羽が舞った。
「仁希の映し身相手にうろたえるくらいなら、ただの人になれよ。なぁ、ティモシー」
 はじめて、影洛の気配から険が揺らいだ。
 どこか痛切な顔をして、俺がただの「人」で。なんの立場も無い奴の友人だったころの名を呼んで。
 まっすぐにこちらを、俺を見る。
「ただの人になって、あいつだけ見てやれよ。特にあいつは、そうじゃなきゃ本当には手に入んねえ」
 コンマ数秒の迷いだった。判別し、識別し、区別し、認識するまで。
 それでも確かに、彼女の姿が戦場に垣間見えた瞬間、俺の意識は揺らいだ。
 索敵・分析・殲滅。それだけであるべき思考に、焦りと狼狽が生まれた。
 命取り。幾ら再構成が可能な体といえ、痛みはある。消耗もある。まして神が二人も出向くような闘いの最中で、一人が戦闘不能になることがどんな危機を及ぼすか。
 今回は影洛のカバーが入った。だが、もしもこれが新任の神との仕事だったら?
 問うのも馬鹿らしい。全滅だ。
 影洛が、逸らすことのない瞳でこちらを見詰めてきている。
 なんやかやと言っても、こいつも本質的にはあの銀色をした友人に近いのだ。自分とは、決定的に違う。
 実のところ三人の内で一番に友人を想っているのは、こいつだろうと俺は考えている。
 言わなくてもいい苦言を呈す。自分が悪人になることに微塵の躊躇いもない。そのくせ、その裏ではこうして誰よりも友人のことを考えている。
 優しい、人間だ。
「どっちかしかねぇんだよ、ティモシー」
 変わらず何かが痛むような顔をして、影洛が続ける。
「オレらみてーによ。お互い永劫的に消えないもん同士、永劫的に支えあって契るか」
 マリアと影洛は、互いに消えない。確かな永久を誓い合い、互いにその上で息づいている。
「それとも、想いに身を馳せて限りある生を生きるか」
 俺の責任の重さを抱えたまま、そうすることはできない。
 全てを差し出して打ち込まなければ、恋人としての彼女の気持ちは手に入らない。
 そう、影洛は示していた。
「選べよ、なぁ」
 目を伏せる。間違ってはいない。影洛の言うことは。
 俺は、選ぶべきなのだろう。
 彼女か。
 役目か。



「……できない」



 奴の視線が険を取り戻し、吊りあがった眼に比例して口角を下げた口元が獰猛に笑んだ。
「ハンッ! この大馬鹿野郎が!! いいだろうよ、覚えとけよティム!
 そんな押し付けがましい半端な想い、仁希にいいはずもねーんだ!」
 突き立つ刃に抵抗する術はない。どこか泣き出しそうな顔をした影洛が、叩きつけるように紙片をその場に放った。
「妙な役目なんざに駆られずに、妙な意地なんかに振り回されずに、あいつだけ見てくれる奴がいいに決まってんだ! 覚えとけよカミサマ。
 そんな半端な覚悟で、得られるもんなんざありゃしねぇんだよ!」
 感情の発露が、影洛の周りに毒々しい闇を生じさせて陽炎のように揺らめきたっていた。
 何かの影にしか有り得ない闇を、自然の法則に逆らい一層濃く生み出しながら奴は吐き捨てる。
「決めるしかなくなるんだ。
 だれかそんな奴が現れたときに、あいつが消えっちまう時に!
 結局、答え出すのを先伸ばすしかできやしねーんだ!!
 お前、言い切らないだろうがよ!? あいつがお前のこと恋人として見てるって言い切れんのかよ。
 本当の意味で愛し合うことなんざ、このまま行ってできっこねぇよ!
 そんな半端な互いのために生涯棒に振るつもりか! ざっけんじゃねえ!!」
 一言一言を叩きつけるように闇が揺らめき、俺の体を撫でる。
 完璧に、気迫に呑まれていた。
「影」
 それでも。最後に呼び止める。
「すまない」
 ざぁ、と。音を立てて闇が凪ぐ。驚いたように目を見開いた影が、ただ呆然と俺を見詰めていた。
「すまないな。……ありがとう」
 知らず、眉尻が下がり、唇が笑みを描く。
 できかけの子どもだった俺を、「人」に仕上げた友人の一人は、歯痒そうに奥歯を噛み締めてこちらを睨み据える。
 それでも、俺は。彼女を。
 馬鹿野郎が。搾り出すような、力ない声が奴自身の持つ闇に吸い込まれていった。
「勝手にしろ」
 その一言だけを残して、誰よりも優しい闇の王は滑るように上空へと身を浮かべ、陽炎のように景色に溶けて消えた。

 月光に影を作るように、滑らかに空を舞ったフクロウが再び俺の肩へと降り立った。
 ホウ。静かに鳴いて、頬へと額を押し付けてくる。
「………………わかってはいるんだが、な」
 恐らくは、これは甘えなのだろう。些か執着は強いが、いっそのこと本当に父性に近いのかもしれない。
 そっとその額に額を寄せて、甘えつくように寄せられる嘴を好きようにさせる。
 彼女だけを見て、彼女だけを想って、彼女だけのために、責を負う。
 そんな男が現れた時に、俺は惑うだろう。彼女への執着も露に、しがみつくかもしれない。
 でも、本当は。
「手を離してしまうことが、彼女のためなんだろうな」
 一度鼻先を甘噛みしたフクロウが、怒ったように嘴を開いて飛び立つ。
 要約するに。臆病者、無責任。
 全くその通りだ。今夜は誰にも頭が上がらない日らしい。
 踵を返して足元の紙片を拾い上げ、二枚のドアを潜る、と。
 そこにはたった今まで話題の中心を占めていた、宝玉のように澄んだ梅色の瞳が待ち構えていた。
「ッ…………仁希……?」
 聞かれたか。にわかに気が急いて、支えるように(或いは掴まえるように?)彼女の肩を取る。
「?……影洛くんは?」
「…………あ、あ。今すれ違いに帰ってしまったところなんだ」
 曖昧に笑って、誤魔化す。どうやら聞こえてはいなかったらしい。
「さて。待たせて悪かったな。飯にでもしよう、仁希はもう済ませたか?」
 ゆるりと首を横に振る仁希の肩を、そうかと言いながら食堂の方へ押す。
 あ、と零した仁希が。何事かを慌てたように俺に訴える。
「?」
「……書類……」
「ああ……構わない。大したことじゃない。戻っているのを見たろう?」
「……ごめんなさい……」
「いい。仁希がわざとやったんじゃないのは知ってる。ただ、あれがガラスなんかだと大事だからな」
 気をつけろよ? 言えば、素直に何度も頷いた。
 自然、擬古ちなかった表情が緩む。同時に胸への傷みも生じたが、振り払うようにまた歩き始めた。
「……」
 ティム。耳に馴染んだ音が俺の名を呼ぶ。
「ん?」

「……かなしいの?」


 思わず、足が止まった。
「----………………」
 戸惑いとともに仁希を見下ろすと、細い両腕がきゅうと音を立てそうな強さで脇の下から背中へ
巻きついた。
「……影洛くんと、喧嘩した?」
「……ち……」
 違う、と紡ぎかけた形で、口が固まる。
 何度か開閉し、心音と呼吸とを落ち着けても、胸に走った痛みは薄らぐことがなかった。
 悲しい? そうか、そうだ。哀しいとも。
 細い仁希の身を掻き抱いて。強く抱き締める。
 考えたくもない。思いたくもない。愛しい。恋しい。本気で愛していると思う。
 たとえ彼女から向けられる愛が俺のものとは違っても、他の誰にも渡してなるものかと思う。
 どうして。
 考えても考えてもどうしようもない思考が頭の中で渦を巻く。
 どうして俺たちはこんな形で出遭った。
 幾年をも重ね、数ある事象を解き明かした思考回路が、その問いに答えを弾き出すことはない。
 愛したいのだ。俺はこの少女をただ一心に。
 愛し愛されることを渇望している。もうずっと前から。
 けれどそのために責務を放り出すことはできない。
 同じように愛した、亡き家族が遺したものを、保つことは俺以外には適わない。
 この責を負うものは、まだ現れない。
 彼女が俺を想うことを、その感情の成長を、強要することはできない。
 急いては。急かしては、いけない。

「なんでもないんだ……」
 ただそれだけを、震える顎門で紡いだ。

「なんでもないんだよ、仁希」



 願わくば、どうか。いずれ来る最後の選択の時までに。どうか、どうか。
 彼女がより多くのことを知り。叶うならば彼女の選択で。



------------------------------愛してくれるだろうか。 了。



***あとがき***



 ひとつき遅れのハピバースディ!
 ご注文のどろんどろんのシリアスだよ!(どろんどろんって言われてない)
 仁希ちょんあんまし出てないって言われたってティム×仁希←(ちょっかい)影洛なんだよ!
 ごめんってば。ほんとごめんってば。
 でもその分(遅れたりどろどろしたり)妥協はしてないからね。許して。
 こんなんですんませんほんとすんません愛だけはみっちりキモチワルイ濃度で濃縮してありますから
なんていうかほんとっ。ごめんて! マジごめんて!
 二十歳おめでとー!
                                    2007.03.09. 狩野 宿


 一番の創作仲間にて、親愛なる友人。 熾堂ヒロさんに捧ぐ。
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【2007/03/30 04:03】 | 短編、他 | トラックバック(0) | コメント(1)
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  • Author:狩野宿
  • 虚言・妄想・戯言・被害妄想が並じゃなく多いです。
    焦ったり面倒がったりまったりしたりしながら語彙と表現力の無さを嘆いています。
    そんな感じの修行中字書きです。

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